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発想力を取り戻すための自己啓発

投稿日:2018年3月25日 更新日:

「何かをしたいと思うんだけど、具体的に何ってなると、何にも浮かばない。周りから『やりなさいやりなさい』で育ってきたから、もう発想そのものが出ないんじゃないか」

これはある知的障害者の言葉です。彼は昔、「勉強をしよう」と考えたことがありました。そこで同じ特別支援学校に通う身体障害の友人に、勉強を教わろうとしたら、教師に「やめろ」と止められてしまいました。

教師がやめさせた理由は「意味がないから」です。その教師はご丁寧にも、友人にも「教えるのはやめるように」と指示していました。結局、彼は勉強をする機会を与えられませんでした。

「意味」とは一体、なんでしょう。「意味があるかどうか」「無駄かどうか」は自分でやってみて、自分で経験して、自分で決めることです。仮に勉強が身に付かず、やめることになったとしても、自分で判断したことであれば納得できます。

他人から「意味がない」とやめさせられるのと、自分で「意味がない」と思ってやめるのは似ているようで、まったく違います。人は何かを選択し、それを諦め、また何かを選択する繰り返しを通して、自分の領分を見つけ、社会で役割を担うようになるのです。

その判断の機会を頭ごなしに奪うのは、教育から最も遠い態度です。教師が正解を知っていて、生徒がそれを教わる、お前は俺の言うことを聞いていればいい。そんな風にして、教育は時に度し難いほど傲慢になります。

この話には続きがあります。そうして生徒の意志を挫いておきながら、卒業が近づき進路の話になると、「自分がやりたいこと」を聞かれたそうです。それに対する彼の答えは「そんなのわかるか!」です。

私は障害者教育に関わるクライアントからこの話を聞いて、本当にはらわたが煮えくり返るような思いをしました。もし決まり切った正解を生徒に与えるのが教育だと思うなら、「お前はここに行け」と貫き通すのが筋というものです。

しかしそれすらも放棄し、最後に「お前のやりたいことは何だ?」と丸投げするのは、もはや教師でもなんでもなく、自己満足に相手を付き合わせているだけにすぎません。

この知的障害の彼は「そういうことが自分たちにはあるんだ。それが自分たちの世界なんだ。それが当然のようにまかり通っている世界なんだ」と話したそうです。しかし、これは障害者に限らない、社会全体の縮図でもあります。

「あれをしなさい。これをしなさい」
「あれはダメ。これもダメ」

私たちは幼い頃から、誰かに指図され続け、自分の意志や感性を奪われながら育ちます。その中で「自分は本当は何がしたいんだろう?」と、一番当たり前なはずの自分のことがわからなくなっても、無理はありません。

しかし、そうした経験があったとしても、「もうそういう発想が出ない」なんてことはありません。どんなに踏みつけられようとも、自分というものは決してなくなりません。挫かれても、完全には折れないのが人間です。

もちろんそういった期間が長ければ長いほど、自分の意思や考えを言葉にできるようになるまで、時間はかかるでしょう。しかし、いつか必ずどんな形であれ、それは「ああ、自分がやりたかったのはこれだったんだ」という発露に至ります。

もともとある自分の思いや気持ちに気づき、言葉にできるようになる。それが発想力の根源です。そのサポートをするのが自己啓発だと私は考えています。

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