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政治家や芸能人の不祥事が許せない。ニュースを見続けるとバカになるワケ

投稿日:2018年5月1日 更新日:

実家に帰省した折、久々にテレビを見たら、加計・森友学園の問題が未だに取り上げられていました。マスコミと野党は安倍内閣や与党が許せず、そしてネットはそんなマスコミと野党が許せないようです。

人間には様々な機能があります。 喜ぶ、悲しむ、学ぶ、愛する、許す、裁く。許せないとは、裁くということです。そして、しかし、この裁くというのは極めて非効率的です。社会は人が人を裁くことを、認めていません。

だから与党や野党を許せなかったとしても、一般人にできることは限界があります。せいぜい選挙で投票するくらいです。数年に一度、紙切れ一枚を投票するのに、そこまで憎しみを募らせるのは非効率的でしょう。

もちろん、その許せないという感情が義憤にまで高まり、政治家を志す人もいるかもしれません。あるいは自分が政治家にならなくとも、誰かの後援会に入る場合もあるでしょう。そういった場合はそうした感情も行動の動機の一つになります。政治参加といってもレベルがあります。そこまで行動するつもりもないのに、憎悪を掻き立てても時間の無駄です。

これは政治家に限りません。不祥事を起こした芸能人をテレビの前やネットでこき下ろして溜飲を下げたところで、人生は何も変わりません。評論家やコメンテーターであればお金がもらえますが、そうでなければただ時間を費やしているだけです。

私たちはニュースを見ていると、つい勘違いしてしまいます。それがまるで自分の問題のように思えてくるのです。しかし、誰もそんな期待はしていません。国際政治も国内政治も、世界経済も日本経済も、芸能人の不倫や不祥事も、私たちは全くもって蚊帳の外です。それなのになぜそこまで相手を論破しようと考えたり、感情を高ぶらせねばならないのでしょうか。

そうやって人は自分をないがしろにして、世情にうつつを抜かして、馬鹿になっていきます。自分がプレイヤーなのか、それともオーディエンスなのかがわからなくなっていきます。人間はすぐに物事に感情移入します。だからこそ、この二つを区別しておかないと、「今まで自分は一体何をやっていたんだ」と後悔することになりかねません。

どこかで災害が起きてニュースになった時、すぐさま現地にかけつけてボランティアに従事する人もいれば、募金や支援物資を送る人もいれば、自宅の防災グッズを確認する人もいます。ニュースに限らず情報というのは、このように行動に結びつくから意味があるのです。

だからニュースそのものが悪いのではなく、情報量が問題です。情報量が増えるほど、自分に関係ないことも増えていきます。特に私たちは競争を目にすると、途端に我を忘れてしまいます。野球でどっちが勝つのか、サッカーでどっちが勝つのか、プロレスでどっちが勝つのか、国会や選挙でどっちが勝つのか、根本的には変わりません。変わるとすれば、それは自分がオーディエンスではなく、プレイヤーになった時だけです。

当事者が本気になるのはわかりますが、観客はあくまで観客です。それを忘れると迷惑なフーリガンにしかなりません。そもそも私たちは誰かを許せなくなりたいのでしょうか。きっと、そんなことはないでしょう。これは単に道徳的な意味ではありません。悪感情は心にこびりつき、行動に必要な気力を奪います。それとは反対に私たちの感性を刺激し、本当の意味で行動を促すようなコンテンツもたくさんあります。その二つを比べると、視聴後の余韻が全く違います。心地よい方を選ぶのが自然ではないでしょうか。

情報というのは自分の主観を強めるためにあります。ニュースは決して客観ではありません。同じ出来事でも陣営によって正反対の報道がなされています。それはどちらかが正しい情報を、もう一方が誤った情報を流している、ということではありません。それは単に自分たちが流したい情報を流しているにすぎません。であれば、私たちはそのどちらにも与しない、という選択肢も考えなくてはなりません。ニュースは人生のごく一部に過ぎないからです。

相手が与党であろうと野党であろうとマスコミであろうと芸能人であろうと、下せる鉄槌もないのに腕を振り上げたところで、どうにもなりません。会ったこともない人の話を聞いてムカムカしたら、しかもそれで何か行動を起こす訳でもないのなら、もっと自分のことを考えましょう。自分が幸せになるのも、誰かの幸せに貢献するのも、行動が伴った時だけです。心の中で誰かを裁くよりも、やらねばならないことがたくさんあります。

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