「自分にはセンスがない」と悩んだら。感性は感動の先にある

個性と感性

先日、サロンメンバーのTさんに「私にセンスはありますか?」と質問をいただきました。これは「音楽のセンス」「ダンスのセンス」といった特定のジャンルに対するものではなくて、個人のセンスそのものに対する問いかけです。

答えを出すよりも大切なことがあります。それは自分の質問に気を配ることです。「自分にセンスがあるのか?」という質問だと、それに答えられなかった場合、「自分にはセンスがない」という結論が出てしまいます。すると話がそこで終わってしまい、それ以上前に進めなくなってしまいます。

しかし、「自分にどんなセンスがあるのか?」と問いかければ、センスはあるのが前提で、それを見つけ出すというニュアンスになります。探そうとしなければ、たとえあったとしても見つかりません。「ない」のではなく「まだ見つかっていない」と考えるから、そこに「探しみよう」という試みが生まれるのです。

Tさんはキリスト教徒です。彼女は以前ドイツのケルン大聖堂に訪れ、そこで「(この建物は)生きている」と感じたそうです。普通、建物を「生きている」とは考えません。しかし、そこを飛び越えられるのがセンスです。

ケルン大聖堂は600年以上かけられて造られたゴシック様式の大聖堂です。1880年に完成し、それから100年以上、多くのキリスト教徒の祈りを受け止め続けています。

時の試練に耐えるのは偉大です。ほとんど全ての存在は一世代限りで忘れ去られていきます。しかしケルン大聖堂はそうではありません。単なる遺跡でもなく、今この瞬間に訪れても礼拝が行われています。Tさんはそれを「生きている」と表現したのだと思います。

これは「あえて人と違うことを言ってみる」というウケ狙いだけの態度とは全く異なります。他人と違うだけでなく、自分の常識からも外れていて、だからこそそこに驚きや感動があります。そして、それを人に伝える時は「こんなこと言うのはおかしいかもしれないけれど」という慎みを伴います。

「自分にはセンスがあるのか」「自分には才能があるのか」という問いかけをしつつ、「自分にはセンスがある」「自分には才能がある」と口にするのが憚られるのには、こうした構造があります。物質の動きに物理があるように、心の動きには心理があります。

またそうした問いかけには、自分にはセンスや才能がないかもしれない、という不安が含まれています。そうした不安に苛まれているからこそ、探求が大切です。しかも、その探求は外側の未来ではなく、内側の過去に向いています。キャリアアップやスキルアップのような努力では辿り着けません。必要なのは自己啓発です。

センスは和訳すれば、感じ、感覚、感性です。言葉の働きとして、横文字にするとそこに客観的なニュアンスが生まれます。すると、そこに理屈で至ろうとしてしまいます。しかし感性と捉えれば、大切なのは理屈ではなく感情なのは明らかです。

自分のセンスが発揮されているのは、自分が感動した瞬間です。Tさんの体験したケルン大聖堂のように、今までにどんな体験で自分が感動したかを思い出してみましょう。そこに自分のセンスに繋がる糸口があります。

私たちは常日頃、膨大な情報を受け取っています。しかし、自分の感性に繋がるものはごく一握りです。コマーシャリズムが蔓延している環境で、ほとんどは欲求の刺激と発散が目的になっています。

だからこそ、それに自分が埋もれてしまわないように自分で精査しなくてはなりません。一日一度は自分のセンスや感性をないがしろにしていないか、振り返るようにしましょう。

 

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