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こんにちは、個人相談サービス「星を辿る」に参加している葵です。
人は「夕飯をどうするか」というような小さなことから、「転職するかどうか」という大きなことまで日々決断をして生きています。皆さんは決断をする時に、どういう判断基準を持っていらっしゃいますか? 人はその判断基準について自覚していないことが多いです。
先日、大きな仕事がひと段落した際に、ふと”綺麗な”音楽が聴きたくなりました。ただの音楽ではなく、”綺麗な”音楽。なぜ綺麗な音楽を聴きたくなったのかを考えてみたら、原点は母親でした。
母親は昔から美容にこだわっていたり、化粧が似合う男性が好きでした。「絶対に似合うから、将来化粧させてね」とも言われ、母親は私にも綺麗であることを望んでいるのだなと感じました。そしていつしか私自身も綺麗なものにこだわるようになり、長年の蓄積で、無意識に綺麗なものを選ぶようになっていったのです。
音楽から気づいた「綺麗」という判断基準

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音楽を聴くという何気ない日常の行動の中から、”綺麗”というキーワードを思い出した時、私は常に綺麗かどうかというのを判断基準にしていることに気づきました。
例えば、私はお店で買い物をした時は店員さんに必ずお礼を伝えます。それは、お礼を伝えた方が綺麗だから。
例えば、現実の世界でもネットの世界でも汚い言葉は使わないようにしています。それは、綺麗ではないから。そしてそれにそぐわない決断をした時に、私の心は落ち着かなくなります。
例えば、怪我をしている方がいるのに電車で席を譲ることができなかった時。心の中で言い訳が沢山出てきますが、自分の決断を後悔します。それは綺麗ではない方を選んでしまったからです。
基準は人それぞれ

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判断基準とは経験の積み重ねによって確立するものです。だから判断基準は既に自分の中に答えがあるのだと今回の経験で気づきました。無意識に判断しているなら、判断基準を知る必要はないのではないかと思われるかもしれません。
しかし人間には決断に悩むことが沢山あります。その時に判断基準を持っていると、自分にとって良い方向になる決断がしやすくなります。
判断基準に絶対に正しいものというのは存在しません。人それぞれ正しいものがあり、それは今まで生きてきた経験の積み重ねで得るものだからです。
「心が落ち着くもの」がヒントになる
私が今回聞いた曲は、brian littrellの「in christ alone」で、綺麗な透き通る声が好きです。特に2番のサビが終わって、再度サビを歌う際にキーが上がる所がお気に入りで学生時代によく聴いていました。
歌詞は英語なのでよくわかっていませんが、キリストのことを歌っているそうです。音楽と声と歌詞、それら全てが合わさり、水平線に夕日が沈むような綺麗な景色が心の中に浮かんできます。
皆さんは辛い時、大変な時、迷った時、何を基準に判断しますか? もしその問いに答えることができないのでしたら、何をすれば心が落ち着くかを思い出すのをオススメします。そこにヒントが隠されているはずです。
ぜひ試してみてください。
主催者:佐々木のコメント
音楽から自分の信念を発掘する。私もよく行うマインドレコーディングです。文芸、美術、音楽、演劇といった芸術には、その作家の人間性が現れます。その人間性に触れることで、私たちは自分の人間性に気づかされるのだと思います。
「芸術」というとなんだか敷居が高くなってしまいますが、それは私たちが生きていく上で素晴らしいヒントになります。もちろん専門分野としての芸術を否定するものではありませんが、一般市民のものではないということもありません。
特に音楽は文芸と並んで手軽に触れやすい芸術です。しかも「音楽を聴かねばならない」といった義務感ではなく、ごく当たり前の習慣になっています。ちなみに葵さんには「聴いてくる時に浮かんでくる心象風景に注目してください」とアドバイスしました。
それは「水平線に夕日が沈むような綺麗な景色」として反映されています。「綺麗」という判断基準の背景には、そういった個人的な体験があります。単なる言葉だけの判断基準は空虚です。私たちを動かしているのは、いつだってそういう美しい風景です。判断基準はそうして作られます。